こんばんはたつんこです。
夏前の梅雨ってどうもジメジメして苦手ですねぇ。
夏は夏で夏生まれなくせに、暑いのが苦手なのでこれはまたこれで嫌なんですけどね(笑)
さて、先日おばあちゃんが手術で入院しまして、そのお見舞いに行ってきました。
おじいちゃんやおばあちゃんって小さい頃の記憶がそのまま残ってるというか、小さな頃はよく親の代わりに世話をしてもらったり、どこかに連れて行ってもらったり、よく接してもらっていたし、楽しかったのですごく想い出があります。
ただ中学に入れば部活をするようになり、家族よりも友達と一緒にいる時間が圧倒的に増えてくるんですよね。
高校はさらに活動範囲も広がりますし、社会人になってからは本当に数ヶ月に一度、下手をすれば半年に一度くらいのスパンになってきていました。
今回の入院がきっかけで改めて考えさせられたのは、僕のおじいちゃんやおばあちゃんって立場の人はオカンのおばあちゃん一人になってしまったんです。
気づかないというか、小さな頃の想い出が強いので、いつまでも一緒にいてくれるという感覚が強いからか、そんな思いでいるんでしょうか?
今年の4月にオトンの方のおじいちゃんもポックリと亡くなりました。人は亡くなる時は意外とあっけないもので、その時には感覚が追いつかなくなったりしますが、後になれば遅れて悲しみがやってきたりします。
やっぱり大切な人が亡くなることはいつまでたっても慣れません。みんないつか死ぬことは決まっています。自分が死ぬってことに関してはあまり怖さがないんですが、親しい人の死を見ることはやっぱり辛いんですよね。
そしてそういうことを考えてしまうと凹んでしまったりすることがあります。その人に何か出来なかったのか?なんで死ななきゃならないんだろう。自分は無力だなと。
今回も何だかそんな気分に襲われ何だか切ないなぁと感じていたんです。
その時に親しい友達からメールが来ました。
それはボクを励ますものだったんですが、そこにはそんな内容の文章だけではなく、たくさんの写真が一緒に添えられていました。
その写真というはボクの友達が写っているたくさんの笑顔の写真だったんです。
『この人たちと出会えたのはたつんこさんのおかげやから感謝しとるで!』
というものでした。
ボクにとってとてもありがたい友達からのメールでした。
こちらこそ、ただただ感謝。言葉では伝えられないくらいありがたかった友達からのメール。
自分ももし、誰か悲しみに暮れている人がいれば言葉だけでなく、その人が紡いだ人の笑顔の写真を自然と送ってあげられるような人になりたいなと思いました。
自分ももうこの夏で35歳になるんですよね。
色んな人の死というものも見てきましたが、その人の分や今できることをしっかりやることだと改めて思いました。
またいつか大切な人の死に直面し、悲しみに暮れることもあるだろうけれど、自分はこの写真の笑顔を一人でも多く紡いでいくことがボクの役目なんだろうと思う。そしてそこに向けてがんばっていこうと思う夜です。